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小倉縞縞の生地

THE STORY OF KOKURA-ORI TEXTILE

― 小倉織について ―

丈夫にしてしなやか。全国に名を馳せた小倉織。

江戸時代、豊前小倉藩で育まれた小倉織。地厚で丈夫、なめらかな風合いをもつ綿織物です。一般的な織物では経糸と緯糸の密度がほぼ1対1であるのに対し、小倉織は経糸が緯糸の2〜3倍。緯糸がほとんど見えないほど経糸を高密度に織り上げることで、凛としたたて縞と、色の濃淡による奥行きのある立体的な表情が生まれます。

その丈夫さから袴や帯などにも用いられ、徳川家康も鷹狩の際の羽織として愛用したと伝えられています。やがて小倉の地を代表する織物として全国へ広まりました。明治期には「霜降小倉」が誕生し、男子学生の夏服として広く普及。手織りから機械織りへと生産が広がり、一大産業へと発展しました。しかし、需要と供給が合わず、他産地での粗悪なコピー製造などによって、小倉織は昭和初期に一度途絶えます。

― 小倉織の復元 ―

約80年の時を経て、再び。

途絶えた小倉織の復元・再生に取り組んだのが、染織家・築城則子です。小倉織の本質である高密度の経糸と縞の構成を受け継ぎながら、従来よりも細い綿糸を草木で染め、色の濃淡による立体的な縞を生み出す独自の手織り表現へと発展させてきました。
 

伝統と革新を融合した作品は国内外で高く評価され、東京国立近代美術館やロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館などに収蔵されています。また、日本伝統工芸展でも受賞を重ね、現在も新たな表現を追究し続けています。

― 小倉織を現代へ ―

手織りから、現代の暮らしへ。

その小倉織を、より広く現代の暮らしへ届けようとしたのが、築城則子の妹・渡部英子です。手織りで再生された小倉織の特徴を受け継ぎながら、機械織りによる広幅の生地へと展開。現代のライフスタイルに合わせた小倉織ブランド「小倉 縞縞」を立ち上げました。テキスタイルデザインは築城則子が監修し、プロダクトからファッション、インテリアへと、その可能性を広げていきました。


手織りによって再生された小倉織は、機械織りによって再び人々の暮らしへ。そして、次の領域へと向かい始めます。

― 小倉織の復元 ―

2018年、もう一度この地で織る。

築城則子の娘である築城弥央は、「小倉 縞縞」での立ち上げからの経験を経て、発祥の地・北九州に自社工場を立ち上げる必要を確かにしていきました。より多様な生地の開発やオーダーに応え、小倉織の可能性をさらに広げていくため、2018年、小倉織物製造株式会社を設立しました。

もう一度、この地で小倉織を織る。

その思いから始まった工場は、単に生産を担う場所にとどまりません。自ら製造の場を持つことで、受け継いできた技術を守りながら、素材、糸、組織、密度など、織物を構成するさまざまな要素の枠を広げ、新たな生地の研究・開発に取り組んでいます。

設立当初から目指してきたのは、小倉織を軸に、世界に通じるテキスタイルを幅広く創出すること。

その歩みをさらに進めるため、株式会社小倉縞縞は、これまで生地製作を連携して行ってきた小倉織物製造株式会社と2025年2月に合併。小倉織物製造株式会社を開発・製造部門として、新たな体制でスタートしました。

小倉織をつくる工場から、小倉織を起点に新しいテキスタイルを探究する場所へと、その役割も進化しています。

― 小倉織の復元 ―

小倉織から、その先のテキスタイルへ。

現在、その領域はプロダクトやファッションから、家具、インテリア、建築空間へと広がっています。自社工場で新たな生地開発に取り組むとともに、世界で活躍する建築家・隈研吾氏とのテキスタイル「KUMASHIMA」の開発や、家具ブランドTime & Styleとのインテリアテキスタイルの共同開発など、異なる分野のつくり手との協働を重ねてきました。
 

領域を越えた出会いから新たな表現を生み出し、これまで小倉織が存在しなかった空間へと、その可能性を広げています。そして、受け継がれてきた技術と創造の精神は、次の世代へ。
 

職人やデザイナーがその技術を学び、それぞれの感性から新しい表現を生み出す。ひとりのつくり手だけにとどまることなく、世代や分野、国境を越え、多様な人々とともに新しいテキスタイルをつくる。約400年の歴史を受け継ぎながら、守るだけではなく、進化させる。
 

私たちはこれからも、小倉織の可能性を広げ、その先にある、まだ見えていないテキスタイルを探究していきます。 

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